おさまるところは一つだけ

本当の声はいつだって幸せの道を照らしている

Myスタンド(後編)

こんにちは。Joeです。

 

前回の記事の続きです。

honrainojibun.hatenablog.com

 

二人で、それぞれのスタンドは何だろうかと話していて、私の能力は「蜘蛛のように巣を張り、緻密に計画して交渉する」というインスピレーションがまみに降りてきました。

 

 

 

蜘蛛のように糸を張るスタンドと言えば、例えば、

 

ハイエロファントグリーン

 

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ハイエロファントグリーンは、第3部スターダストクルセイダースの第46話で、Dioも気付かぬ間に結界を張ります。結界というよりレーザートラップです。(こんな感じ↓) 

 

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蜘蛛の巣=罠を仕掛ける、ということでもありますが、広く言えば「自分の場を作る」ということです。

 

 

 

先日、ヨガ中の気付きで、場の初期設定と、場と交流することで設定が変わることを書きました。

 

honrainojibun.hatenablog.com

 

自分のエネルギーの巣=網を張るということは、場と交流することで、場の自分にとってのエネルギーを変えてしまうということ。

 

スピリチュアル系のワークの中で、ホテルに泊まったり、外部会場でセミナーをする時に場を浄化するワークを習いました。

 

浄化というと、自分にとって害となりそうなエネルギーを除去するというイメージだと思いますが、このようなケースでは、他人の場を自分の場に転換するという作用があります。

 

 

「俺の場か、俺以外の場か」

どこであれ、自分のエネルギーの巣を張ることを通して、自分の場にしてしまう。

 

 

例えば、会社での執務室や座席表は、会社の序列が分かるようなレイアウトになっています。その中で自分が座る位置、つまり会社での序列、を無意識に受け入れています。自分のエネルギーの巣を張るというのは、その座席の位置関係の意味を自分の中で書き換えてしまう、ということです。

 

 

 

そんなの当たり前のことかもしれませんが、自分の認識が変わる、ということが大きいのだと思います。

 

できるできないは、技術能力の有る無しももちろん大事だけど、できるという認識が大事だと思った次第。

 

 

本当の声はいつだって幸せの道を照らしている。

 

Myスタンド(前編)

こんにちは。Joeです。

 

最近、二人でアニメ版「ジョジョの奇妙な冒険」を見ています。

 

第3部スターダストクルセイダースから登場する「スタンド」は、その人が持つ意志や超能力を擬人化したものです。

 

 

 

まみと二人で、自分たちのスタンドは何だろう?と話しました。でも、二人とも能力が顕在化しているわけではないので、想像がつきません。話しているうちに、マクラ瞑想に入ったので、「Joeのスタンドを教えてください」と訊いてみました。

 

冗談ともなく「まぐまぐマスター」という言葉が出てきましたが、まったりと落ち着いている時に、「Joeの頭の中は糸が絡まっている」とまみが言いました。

 

 

 

Joeの頭の中は糸が絡まっている。毛糸のように太ければほどけるのに、糸のように細いからほどけない。しかも、頭の中の限られたスペースでほどこうとするから無理なので、頭の中から放り出してしまえば、ほどける。

 

でも、どうしたってJoeの線は細い。毛糸ではなく糸。糸ならば蜘蛛。

 

蜘蛛ならば、緻密に計画して駆け引きができる。それがJoeの特徴。

(頭の中で糸が絡まるのは、緻密に色々と考えるから。)

 

 

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本来の自分というエネルギーの巣=網を張る。

 

 

例えば、会社。会社勤めの時間は長くて疲弊するけど、本来の自分にとっては重要性は高くない。本来の自分エネルギーの網の中で会社を位置づける。そこにエネルギーを割かない(=重要度を与えない)。

 

他人の器である会社で起こることについて頭の中で糸を絡ませても意味がない。会社は他人の器。会社という他人が作った器の中で自分を位置付けて、その中で糸を張り巡らしても意味がない。

 

糸は会社の外側に張る。

 

会社勤め自体が意味のある塊となるので、その中はブラックボックスで構わない。その中でどれだけ糸が絡もうと自分には関係のないこと。

  

そして、網を張って、駆け引きができる。

本当のJoeは駆け引き、交渉に長けているはず。

 

 

 

昨年引っ越してから、市街地では見ないような大きな蜘蛛に家の中で遭遇しています。

 

ゴツイ見かけによらず、ゴキブリを食べてくれる、ゴキが苦手な人間の見方、アシダカグモ(下↓の写真は小柄なアシダカグモです。)

 

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honrainojibun.hatenablog.com

 

 

4人家族の中では2番目にアシダカグモ遭遇率が高いのですが、アシダカグモも私の何かを表しているのかも。。。

 

 

巣=網の話は続きます。

 

 

 

場の影響力

こんにちは。Joeです。

 

毎日ヨガをしています。

 

ヨガマットを使わないので、室内でやる時はフローリングの木目柄の直線、屋外でやる時はレンガの合わせ目の直線をガイドに手や足の位置を決めています。

 

 

ある日、太陽の向かって行ったのですが、そうすると、フローリングの直線に対して、体を斜めに動作することになります。

 

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手や足をつく位置は体の感覚が憶えているので、左右差なく付いているはずなのに、胴体に伝わってくる感覚に左右差があります。

 

目を開いたり閉じたりして、何度か同じ動作をしたので、直線に対して平行ではなく、斜めに体を置いたことに対する視覚の影響と言い切ることもできないです。

 

 

 

 

その場が規定する動きがあるのだと思います。その場が持つ影響力の初期値です。

 

そして、その場でしてきたことが、その場の影響力の初期値を上書きします。強化したり、変更したり、と。

 

 

 

その影響力と異なる動き、異なる部屋の使い方をしたのだろうと思います。

 

意識していないところで、場からも影響を影響を受け、そして影響しあって生きています。

 

 

 

本当の声はいつだって幸せの道を照らしている。

 

 

 

好きになれば良い、好きにすれば良い

こんにちは。Joeです。

 

 

大好きなパートナーがもっと大好きになる。

 

思いや感情がこれまでより軽やかに動く時、これまで自分が持っていた制限に気付きます。

 

 

 

自分が好きなことをするほど、自由になっていく。

 

自由になっていくほど、自分が好きなことが分かる。

 

 

 

素敵なこと。

 

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本当の声はいつだって幸せの道を照らしている。

 

 

嬉しかったこと

こんにちは。Joeです。

 

 

今日、まみにプレゼントをしました。

 

個人の業績に対する報酬が入ったので、まみにプレゼントしたくなったのです。

 

 

 

まみが一目惚れしたネックレス。

 

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星形にカットしたダイヤモンド。

 

 

仕事で頑張った報酬を、大好きな人に捧げる。

自分というエネルギーを形を変えて、大好きな人に注ぐ。

なんて嬉しいことでしょう!

 

 

3カ月前はこんなことを書いていました。↓

 

honrainojibun.hatenablog.com

 

 「今稼いだお金でも、今ここの喜びことには使えない。」

 

ここがスタート地点で、些細なことだけど、目の前の大好きな人の喜びごとにお金を使ってきたら、もっと喜んでもらうために、収入が増えました/(^o^)\

 

 

 

本当の声はいつだって幸せの道を照らしている。

 

好きで飲んでいたお酒が

こんにちは。Joeです。

 

 

酒疲れです。

酔いが回るのが早くなって、早く満足するようになりました。そして、次の日「疲れたなぁ」と思うようになりました。

 

年相応の身体反応かもしれません。

「もうそろそろお酒を止めようかな」と思っていたら、

 

「もう一生分飲んだんじゃない?」

とまみが言います。

 

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「そうね、そうかもしれない。」

 

 

 

・・・何かが終わった感じがしました。

 

もう飲めない。

もう飲まない。

 

敗北感にも似たお手上げ気分と、同時に、張り詰めた糸が切れて自由になった気分。

 

 

 

好きで飲んでいたお酒なのにな〜。

 

 

意気地なしだった過去

こんにちは。Joeです。

 

 

 

私の両親はよくケンカをする夫婦でした。ケンカと言えばお互いに言い合う、やり合うイメージですが、父が怒鳴り、時には手を上げ、母はそこで揚げ足を取ったり、小馬鹿にしたり、それで父が更に怒って怒鳴りたてる、こんな夫婦喧嘩でした。

 

自分が大人になって冷静に観察したら、二人で仲良く、お互いを利用しながら自分の信念を強化し合い、傷付き合っている構造でした。

 

でも、自分が保育園、小学生の頃は、父の怒り方が怖くて怖くて、ケンカが始まると布団の中で泣きながら嵐が収まるのを待つばかりでした。それは、私の下の弟妹も同じでした。

 

 

 

「でも、兄弟4人で止めに入れば、止められたでしょ?」

まみに言われました。

 

「確かに・・・。」

 

その瞬間、4人で止めに入ったイメージが湧きました。

 

 

 

4人でも自分一人でも、止めに入っていれば、父と、そして恐怖と、向き合うことが出来ていました。中学生にでもなれば、殴ってでも止められたはずです。父と向き合っていれば、違う展開になっていたでしょう。父は怒鳴ること止めたかもしれないし、止めに入った自分も怒鳴られたかもしれない。でも、黙って見過ごしているのとは違う展開です。そして、自分に取って、怖さが分かるという経験になっていたでしょう。

 

でも、止めに入らなかった。

 

両親の喧嘩を止められない、母親を守れない、怖いものが収まるのを待つしかない。そういうことからの無力感や勇気の無さ。要は、意気地なしだったんです。

 

怖いものと向き合わなかったから、余計に怖いままだった。

 

 

 

それが、今も目の前の現象として現れていたのでした。

 

怖さが分からないから、必要以上に恐れを抱いたり、或いは逆に向き合ってこない人が身近にいたり。

 

私がスーパーサイコパスパワハラ社員を異様に恐れるのも、席が隣なのに文句があってもメールで言ってくる部下に対して「なんで直接言ってこないんだ」と思っていたのも、根っこは同じでした。

 

 

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